はじめに
明治時代初期、江戸幕府の牧場が廃止され、鎌ケ谷の地でも大規模な開墾が始まりました。その激動の時代、新しく誕生した「初富(はつとみ)」のくぬぎ山地区では、ある独特な信仰が生まれました。それが、全国的にも珍しい**「野馬観音講(のまかんのんこう)」**です。
1. 「野馬の祟り」と火事の頻発
小金牧が廃止され、野馬たちは捕らえられて姿を消したはずでした。しかし、開墾が始まったばかりの初富には、まだ荒涼とした野地が広がり、行き倒れた野馬の骨が散らばっていることもあったといいます。
当時、この地では火事が頻発しました。人々はこれを「死んだ野馬の祟りではないか」と恐れ、その霊を慰めるために、明治29年(1896年)に**「野馬観世音供養塔」**を建立しました。
2. 「火伏せ」の祈りと地域の親睦
くぬぎ山地区の15軒によって始められたこの講は、別名「十七日講」とも呼ばれました。「火防(ひぶせ) 野馬観世音菩薩」と書かれた掛け軸を掲げ、団扇太鼓を叩きながらお題目を唱えるというものです。
この行事には、二つの大きな意味がありました。
- 火伏せの祈願: 野馬の霊を供養し、恐ろしい火災を防ぐこと。
- 農民の娯楽と親睦: 激しい開墾作業に明け暮れる人々にとって、月に一度集まり、飲食を共にする貴重な休息の機会でもありました。
3. 受け継がれる地域の宝
長年続けられてきた野馬観音講ですが、近年、時代の変化と共にその役目を終えました。しかし、使用されていた掛け軸や太鼓などの貴重な用具一式は、地元の自治会によって鎌ケ谷市郷土資料館に託され、今も大切に保管されています。
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出典・引用元
本記事は、以下の資料を元に要約・解説したものです。 第17回 民間信仰の史料(2)くぬぎ山の野馬観音講の掛け軸と石塔|鎌ケ谷市


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