1. 未完成の要塞「第四砲墪」
1853年、ペリー来航の衝撃に揺れる江戸幕府が急ピッチで建設を進めた品川台場。その一つである「第四砲墪(だいよんほうとん)」は、財政難などの理由により未完成のまま放置されるという歴史を歩んでいました。
しかし明治の世になり、この「未完成の要塞」に新たな息吹を与えたのが造船家・**緒明菊三郎(おあき きくさぶろう)です。彼の情熱の源流は、遠く離れた静岡県沼津市戸田(へだ)**にありました。
砲墪(ほうとん)とは?
幕末の史料や設計図に見られる呼称。「砲墪」とは、大砲を据え付けるための強固な土台(砲座)を指す軍事用語。現代で一般的に呼ばれる「第三台場」の内部に配置された、具体的な火器運用の拠点を意味する。
「歴史地図アトラス」では「第一」から「第七」まで、一般的な「台場」ではなく、この「砲墪(ほうとん)」を使っています。
2. 沼津市戸田とディアナ号の記憶
安政元年(1854年)、安政東海地震により下田で大破し、**静岡県沼津市戸田(へだ)**の沖合で沈没したロシア軍艦ディアナ号。 当時、船大工の父とともに戸田にいたわずか9歳の菊三郎は、プーチャチン提督らロシア人と日本の職人が協力して代船「ヘダ号」を造り上げる、日本初の洋式造船の現場をその目に焼き付けていたのです。
この時に培われた技術は、のちに幕府によって「君沢形(きみさわがた)」と命名された洋式帆船の量産へと繋がり、日本の近代造船術の礎となりました。戸田でのこの強烈な体験こそが、後の「造船王」緒明菊三郎の原点だったのです。
3. 要塞から造船所へ:産業の夜明け
明治10年代、菊三郎は未完成だった第四砲墪の払い下げを受け、「緒明造船所」を設立しました。
品川区の公式記録によると、彼はこの広大な台場跡の形状や堅牢な石垣を巧みに利用し、近代的な造船施設へと転換させました。幕末、江戸を守るために築かれた「海の要塞」は、菊三郎の手によって、近代日本の海運を支える「産業の拠点」へと劇的な変貌を遂げたのです。
4. 現代に続くヘダ号の精神
現在、第四砲墪の跡地は再開発により「天王洲アイル」の一部となっています。地表に当時の面影を見ることは難しいですが、周辺の護岸には、今も第四砲墪から転用された石垣が静かに眠っています。
一方、菊三郎の原点である静岡県沼津市戸田では、この日露友好と近代造船の象徴であるヘダ号を復元し、次世代へ継承しようとする**「ヘダ号再建プロジェクト」**が活動を続けています。
戸田で芽生えた造船の夢が、品川の地で花開いた。この歴史の連動を、私たちは「歴史地図アトラス」を通じて記録し、未来へと繋いでいきたいと考えています。
では、その足跡を**「歴史地図アトラス:お台場デモ版」から探してみましょう。**
参考文献・資料
- 品川区公式デジタルアーカイブ(ADEAC)
- 沼津市公式ホームページ(施設案内)
- 一般社団法人 ヘダ号再建プロジェクト会
- 歴史地図アトラス:お台場デモ版
【歴史地図アトラス:お台場デモ版を開く】

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