はじめに
江戸時代の鎌ケ谷周辺には、幕府直轄の牧場「小金牧」が広がっていました。現代に残る「野馬除土手(のまよけどて)」の遺構。それは単なる仕切りではなく、当時の農民たちが生活を守るために必死に維持し続けた「命の境界線」でした。
今回は、鎌ケ谷市郷土資料館の公開資料に基づき、一枚の「牧絵図」から当時の切実な実態を読み解きます。
1. 一枚の絵図が示す「牧の境界」
鎌ケ谷地区の旧家から発見された絵図には、中野牧(黄色)、下野牧(橙色)、**印西牧(薄茶色)**の範囲が鮮やかに色分けされています。
これは単なる地図ではなく、どの村がどの牧場の管理(野馬捕りなど)を負担すべきかを示す「義務の区分図」でした。
2. 深刻だった農民の負担
史料によると、当時の鎌ケ谷周辺の村々(野付村)は、極めて過酷な状況に置かれていました。
- 重なる動員: 自分の村に接する牧だけでなく、遠く離れた印西牧まで人足(労働力)を出さなければなりませんでした。
- 土手修理の遅れ: 人手不足により、野馬の侵入を防ぐ「野馬除土手」の修繕が追いつかず、野馬が村に入り込んで作物を食い荒らす「内入り」被害が多発していました。
3. 「命を守る」ための願書と土手
当時の農民たちは、馬による被害と過酷な労働によって村が崩壊(退転)することを防ぐため、幕府へ何度も負担軽減を求める「願書」を提出していました。
私たちが今、歴史地図アトラスを見ながら歩く「野馬除土手」の跡は、まさにこうした先人たちの苦闘の結晶なのです。
出典・引用元
本記事は、以下の資料を元に要約・解説したものです。 第23回 史料整理の現場から(3)1枚の牧絵図から|鎌ケ谷市
【歴史地図アトラスで体験する】
それらを思い描きながら、「歴史地図アトラス」で現存する野馬除土手を見ながら、散策しましょう。


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